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Channel: ニャンコとちえ
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ニャンコとちえ 10/22(水)曇り 最高気温24.7度 『全科診療医』

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 私の息子は1歳半の時に小児喘息になった。小学校低学年の時の事だ。夜中に喘息の発作が起きた。急いで発作時の吸入をしたが効き目がなく、病院に連れて行く事にした。

 掛かりつけ医師の居る病院だし、息子は常連患者だった為、何のためらいもなく家から車で15分掛かるS病院に向かった。
 救急で出迎えた当直看護士は眼科の主任看護士で、私達に向かってこう言ったのだ。
 
 当直看護士:「今夜の先生は耳鼻科の先生だから何もできないと思いますよ~。」

 ちえ:「息子のカルテを見れば直ぐに分かります。直ぐに吸入と点滴をして下さい。早くしないと危険です。」

 当直看護士:「う~ん・・・でも、やっぱり、するとしても吸入くらいで点滴とかはできませんよ~。」

 ちえ:「分かりました、失礼します。」

 私は、急いでS病院から車で30分の距離に在るY病院に向かった。Y病院に着くと直ぐに吸入と点滴を行なってくれて、幸い息子の命に別状は無く朝が訪れた頃に家に帰った。

 翌日の朝方、また喘息の発作が起きたのでS病院に行き掛かり付け医のS医師に診て貰った時に、私達が門前払いのような形で何の処置も施される事なく、急ぎY病院に行ったことを伝えると、次の様に言った。

 S医師:「えーっ?嘘ー?ほんとにー?怒るわ!もう二度とこんな事が起こらない様にするから、これからも発作が起きた時には必ずここに来てね。ごめんね、ごめんね・・・」

 と何度も私達に頭を下げて謝罪してくれた。息子の点滴が始まると、当直看護士だった眼科の主任看護士がやって来て、私達に丁寧な言葉で深く謝罪した。

 この事件後も息子は何度もS病院を訪れたが、あの夜の様な不祥事は二度と起こらなかった。小児科医師のS先生の計らいだった。

 小児喘息は恐ろしい病気だ。先程まで元気に走っていた子が、30分後には気管支が狭くなり呼吸ができなくなり倒れ込む。診察室のある2階までの階段を一人で登ることもできなくなる。元気そうに見えてはいるが、死ぬかもしれない時が迫っている事を充分頭に置いておかなければならない病気だ。

 実家の材木卸問屋の架線士のお宅のお孫さん、実家の近所の息子さんは、喘息の手当てが間に合わずに亡くなった。どちらのお宅も、朝方にしおれる様にうなだれている子供に気付き病院に向かったが、間に合わなかったという事だ。
 
 息子は数回死にそうになり、普通の吸入器ではなく手術用の本格的な吸入を行った事もある。私は病院で朝を迎える事が多く、朝方母に交代してもらい息子を預け、病院から勤めに向かった。

 小児喘息だった息子は、いつも寝不足気味だった私にとても親切にしてくれている。命は簡単に消えてしまうものだと、身をもって体験したからだろうか。現在は喘息の気配もなく元気に過ごしている。

 本日のニュースで悲しい事件があった。36歳の妊婦が7つの病院で受け入れ拒否の後、出産後3日目に死亡した。医師不足の為のこうした問題を解決するには時間が掛かると思われるが、一日も早く良い手段を昂じて頂きたいものだ。

 ところで、若手医師への教育には是非役立てて欲しい事がある。


昨日のニュースから。
-『全科診療医』-
 多くの病院が医師不足に悩む中、北海道南部の松前町では、北海道内からも多くの若い医師達が研修医として集まり、5年間で2倍に増えた病院がある。

 その背景には『全科診療医』という一人で色々な病気を見る事ができる、いわば何でも屋の医師の育成に特に力を入れている事がある。

 町立松前病院の朝の朝の勉強会の様子だ。若手の医師に専門分野以外の知識を高めてもらおうと、週に一度開かれている。

 この日のテーマは不妊症。教えているのは院長の木村真司さんだ。木村さんは3年前に勤めていた病院を飛び出し、松前病院に赴任した。以来、内科から外科まで一人で何役もこなす『全科診療医』を実践してきた。患者にとって身近な存在でありたいと考えている。

 木村院長:「田舎では専門家を揃える事ができません。そうすると幅広く知っている医師、幅広く対応できる医師が『全科診療医』あるいは家庭医な訳です。多くの方のお役に立てるようにという事だと思います。」

 医師が都会に偏在する時代、地方では専門医の数が揃わない。松前病院では必要に迫られて『全科診療医』の育成に乗り出したのだ。
 ところが充実した教育体制が知られる様になると、研修医や医大の学生などが道内外から集まって来るようになった。
 
 その一人、上村春奈さん。脳外科が専門だったが一つの病気だけでなく患者の全ての病気と向き合える『全科診療医』に魅力を感じたのだ。
 
 上村さん:「専門医は病気がもちろん主になるんですが、こちらだと患者の側に立って寄り添える、そういう感覚がやりがいという感じもあります。」

 入院患者を回診する時も、ベテラン医師が一緒に付いてまわる。教室では教える事のできない技術や経験を現場で伝えるのだ。
 若手にとっては得意分野だけを見るのとは違い、戸惑う事の連続だ。判断に迷えばその都度、相談したり指導を受ける。

 上村さん:「自分の範ちゅうでできる事がちょっとづつ増えてきたけど、まだ大平原が広がっている。」

 医師としての力量を把握する為、木村さんは毎日若手医師達が書いたカルテをチェックしている。『全科診療医』として早く一人前になって欲しい。そして、医師不足に泣く地域で活躍して欲しいというのが、木村さんの願いだ。

 木村さん:「若い時というのは専門的なことを極めたいというのは働くと思います。俺はこの分野のエキスパート!私はこの分野を詳しく掘り下げて知りたい!一方では“よろず屋”も必要なんです。なんでも相談できる、ちょっとしたことはできる、そういう医師になって欲しいですね。」
  ニュースはこれでおしまい。


 『全科診療医』を多く育てておられる木村さんの意志の固さに感服した。脱帽!
 こうした“よろず屋医”は、地域に根付く診療所の医師がその位置にある。
 私達田舎者は町の病院まで行く事ができず、診療所を当てにして生きていた。
 風邪・腹痛・怪我・腫れ物~なんでも診てくれて助かったものだ。
 『全科診療医』がどんどん増えて、患者一人一人の体を辱知して頂ける医師と患者の関係が築けると大変良いと思う。
 また、息子の様に緊急時の対応を急ぐ患者には、この様な“よろず屋医”の存在が欠かせないのだ。

 ニャンコ達は一日肌寒いので、それぞれが暖かい場所を探しては寝ていた。
 べっぴんさんは元気に食事をして帰った。
 小児喘息だった息子は、まだ2階でガタガタと音を立てているようだ。?
 では、おやすみなさい。。  ちえ

-あなたの心は
  その手のひら以上に
 とってもとっても
  やわらかでした。-  ひろはま かずとし
 
 

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